未来への希望を失ったとき、人は絶望に陥る。
あなたは、絶望が幻想だと信じられるか?
絶望は、絶望を感じた人にしか理解できない苦悩だけど、それは決して幻想なんかではない。
目の前にある現実なのだ。
では、その現実を少しでも楽にする方法はあるのだろうか?
それが意味づけ。
絶望の意味づけとは、絶望によって何が与えられるのか?
孤独感、孤立感、怒り、悲しみ、先が見えない苦しさ。
そのような苦しみだけしか与えられないのだろうか?
絶望という暗闇の中で、何かを見つけ出すことはできないだろうか?
あなたにしか発見できない言葉、イメージ、感情。
感情が混乱しているのか、思考が混乱しているのか?
その違いを感じることはできるだろうか?
絶望の意味づけを変える。
それは視点を変化させること。
あなたの見ている現実は、わたしの現実とは違う。
誰かの見ている現実は、あなたの現実とは違う。
そのことは、理解できる?
絶望によって与えられるもの。
それは悩むこと。
悩むこととは、深く自分と向き合って考え続けること。
純粋性が高いほど、不本意な結果に打ちのめされる。
だけど、何もしないまま解決することも無い。
絶望の反対語は、希望だろうか?
希望とは、好ましい事物の実現を望むことだけど、どこか他人事。
もっと能動的な言葉はないだろうか?
絶望の意味づけを幾つも考えてみる。
終わりは変化の始まり。
終着駅は、始発駅にもなる。
こだわりを捨てれば、リセットすることも出来る。
完全に元には戻らないかも知れないけど。
ゼロから向き合い直すことはできる。
その時の経験値はゼロではない。
その違いは大きい。
痛みを知れば、痛みを理解できる。
怖さを知れば、怖さを理解できる。
そして、痛みや怖さと向き合うことも出来る。
絶望の意味づけを決めるのは誰?
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